大原麗子の自宅孤独死から取り壊しまで|世田谷3億円豪邸の時系列と現在の姿を徹底解説
豪邸が長期間取り壊されなかった理由を探るには、まず2009年8月にその家の中で起きた孤独死の真相を知る必要があります。
2009年8月6日、前月から連絡が途絶えていたことを不審に思った実弟の大原政光氏が警察とともに自宅へ入り、2階の寝室で亡くなっている大原さんを発見しました。行政解剖の結果、死亡推定日時は発見の3日前である8月3日。死因は不整脈による脳内出血と断定されました。
発見当時、世間に大きな衝撃を与えたのが「左目周囲にあった黒っぽい痣(あざ)」の存在です。実弟の政光氏が当時の会見やインタビューで明かした証言によると、この痣は転倒してぶつけた外傷ではなく、「脳の動脈が破れ、その血が目の周りに溜まっていた」ことによる内出血でした。
大原さんは1999年に難病であるギラン・バレー症候群を発症して以降、手足の神経に麻痺が残り、歩行や日常生活に大きな支障を抱えていました。亡くなる前年の2008年秋には自宅ガレージで転倒し、右手首骨折と左膝挫傷の重傷を負っています。最期の瞬間も、2階の寝室からトイレへ向かおうとベッドから立ち上がった際に脳内出血を起こし、そのまま力尽きたとみられています。
元マネージャーの証言が明かす「深夜のラブコール」と孤独
なぜ、これほどの資産を持ちながら自宅に誰一人いない状態で最期を迎えたのか。『NEWSポストセブン』などの取材に応じた元マネージャーの証言からは、晩年の大原さんが抱えていた極度の孤独と、完璧主義ゆえの苦悩が浮かび上がります。
女優としてのプライドが人一倍高かった大原さんは、ギラン・バレー症候群による筋力低下や体型の変化を他人に知られることを極端に嫌いました。そのため、お手伝いさんやマネージャーであっても、自宅のプライベート空間に深く立ち入ることを拒む時期があったといいます。
一方で、寂しさに耐えかねた大原さんは、信頼する元マネージャーや旧知のスタッフに対し、深夜2時や3時に電話をかけることが頻繁にありました。「眠れないの」「昔の現場は楽しかったわね」と何時間も話し込む姿は、3億円の豪邸という巨大な空間に一人で取り残された彼女の心の叫びでもあったのです。